HAIR-MIX KATO

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zoom RSS 大多喜城

<<   作成日時 : 2017/04/25 19:12   >>

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いすみ鉄道に揺られて下車駅は「大多喜」へ

大多喜城といえば、岩槻藩主とゆかりある地で

何か史料などがあるかと楽しみに行きましたが…

博物館の方に伺ったら、この大多喜も藩主の出入りが多く

残るものが少ないんだと語ってました(´;ω;`)ウゥゥ

そうなんです、、、  岩槻も、、、 ですね…


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コメント(38件)

内 容 ニックネーム/日時
KATOさん、恒例の後出し情報(笑)

隣県の千葉もたくさん繋がりがあります。ます、岩槻の一部が今の千葉県でしたんです。

千葉と言えば南総里見八犬伝で有名な里見氏、太田氏とも繋がりが有りました。市川市の国府台で合戦が有りました。そこに太田氏が参戦しています。矢切の渡で着いた千葉側です。

臼井に太田資忠公の墓があります。
小湊誕生寺に太田稲荷があり、太田康資公の墓も有ります。

続く
渋江四郎
2017/05/18 22:17
渋江さん

いや〜、たくさん出てきますね〜。
恐れ入ります(^_-)-☆
KATO
2017/05/20 05:47
続き 戦国編

松戸の本土寺に伝わる過去帳(県指定文化財)、戦国時代の出来事がたくさん書かれています。
その中に、大永五年岩付落城、城主討死と有ります。そう、わが先祖渋江三郎の乱と思われます。しかし一般には太田資頼公は北本の石戸城へ落ちて、数年後に責めて岩付に戻ったとなっています。

当時の混乱した伝聞?、影武者?・・・。
渋江四郎
2017/05/20 11:56
続き 江戸時代編1

岩槻城主阿部氏、最大11万石でしたが、その内今の千葉県に3.5万石が有ったんです。つまり三分の一です。

大岡氏、二万石の内、一万石が千葉県に有りました。つまり半分です。岩槻藩と千葉は繋がりが大きかったんです❗
渋江四郎
2017/05/24 08:39
続き 江戸時代編2

千葉と渋江の間接つながり(その1)
大岡氏領に清国船漂着事件が起こりました。そこで岩槻藩は郡奉行を派遣し、中国人と筆談で交渉し無事帰国させました。
その人こそ児玉南柯さんです。そのことで岩槻と千倉の関係が出来たんです。
その後、南柯さんが事件の記録を書いたものが「漂客記事」です。それを刊本するために作られたのが浄安寺に伝わる市指定の版木です。
それには、あの伝説が有ります。紙芝居にもなっている桜の木の伝説です。
渋江四郎
2017/05/25 22:55
渋江さん

千葉の石高がそんなにあったとは思いもしませんでした!
もっともっと低いと思っていました。

児玉楠柯さんと桜、紙芝居見ました!渋江公民館で!
KATO
2017/05/27 18:14
続き 江戸時代編3

千葉と渋江の間接つながり(その2)
大岡忠光公の二男が久周公が加納家に養子に入りました。上総一ノ宮に領地と陣屋が有りました。
その久周公から児玉南柯さんに送られたのが、あのさざれ石。
君が代にも歌われている石です。

最初は遷喬館に置かれたようです。のちに浄安寺に移され、勝海舟さんの碑と共に本堂前に有りましたが、今は・・・。
渋江四郎
2017/05/28 10:53
さざれ石の話、聞いたことありますが浄安寺で現物見た事無いんです!
何所へ?
初めは遷喬館に置かれていたのですね!
KATO
2017/05/28 22:23
さざれ石、遷喬館にあったのは、たぶん南柯さんが生きている時と思います。

今でも浄安寺さんには有りますが、本堂裏の中庭に移動されました。いたずら防止でしょうか?

むかし、子供たちがさわって、ぼろぼろと剥がしてしまったという話もあります。
渋江四郎
2017/05/29 12:49
いたずら坊主がやらかしましたね!
目の前にあるすべての物がおもちゃですからね(笑)

出来ることなら、さざれ石現物を拝見したいですね〜
KATO
2017/05/30 22:41
KATOさん、お寺のHPに画像が有ります。検索すれば全国の物を見れます。
内緒ですが裏からこっそりと見ることが出来ますよ。
写真を撮るなら正々堂々と(笑)
渋江四郎
2017/05/31 12:16
追伸:たしかあの石は鈴鹿産だったと思います。
渋江四郎
2017/05/31 12:48
HP拝見しました。
正々堂々と現物見て来ます(笑)
KATO
2017/05/31 21:47
KATOさん、お腹空いてきましたか(笑)
千葉、まだまだ続けます。渋江繋がりその3。

いよいよ大多喜です。行かれたので、ご存知かもしれませんが。

阿部正次公、鳩ヶ谷から大多喜、小田原と国替えをして岩槻藩主になります。
大多喜にその後入ったのは、岩槻から移った青山忠俊公です。大龍寺を作った殿様です。

次に阿部正次公の孫の正能公が一万石を分与され大多喜に入るが、忍の阿部家に養子に入りました。

一方阿部重次公が将軍家光公に殉死し、長男定高公(浄国寺に墓がある)が跡を継ぐが25歳で亡くなり、子の正邦公幼少なので、重次公次男の正春公が中継ぎしました。正邦公成人の後、正春公は大多喜藩主なりました。そう時の鐘を作ったら正春公です。
続く
渋江四郎
2017/06/06 23:26
大多喜と岩槻の繋がり、すこ〜しだけ頭に入れて伺いました。
しかし、残っているものがほとんど無く資料館の方も苦笑いしていました。
ただ、阿部正春公が残した「時の鐘」は岩槻の”お宝”なんだと改めて思いました。
KATO
2017/06/08 06:45
今朝のテレ玉「いまどき埼玉」で時の鐘が出ましたが、ご覧になりましたか?
渋江四郎
2017/06/10 20:35
続き
正春公のその後、実は今回調べて初めて知ったことです。
大多喜藩主阿部正春公と刈谷藩主稲垣氏同士の国替えが有りました。そのまま入れ換えというのは、珍しいのではないかと思います。そして六男正鎮に家督を譲り、80歳で亡くなりました。当時としては長命です。
その後
阿部家はまた千葉に戻ってきます。佐貫藩です。この佐貫藩も変わった藩で国替えで三度廃藩に成っているんです。
阿部家の前は、あの犬公方の時の大老格の柳沢保明公です。川越に国替えになりました。
佐貫藩主として8代続き明治維新を迎えました。
岩槻藩主阿部家の分家は、千葉に居たんです。知らなかった❗
続く
渋江四郎
2017/06/10 21:20
いまどき埼玉、見てなかったです… 残念(´;ω;`)ウッ…

先日、浦和の客人が来たので時の鐘を案内させてもらいました。阿部家の繋がり、重次公・正春公・正弘公しか説明できません(笑)
そういえば、先日放送「日本人のおなまえっ!」阿部さんでしたね。
KATO
2017/06/11 23:06
渋江さん

今どき埼玉、録画してありました!
関東に3つ残る時の鐘でも、岩槻が一番古い!
良い響きですね(^^♪
KATO
2017/06/12 18:17
KATOさん、良かったですね❗
そして龍門寺の香時計、ご存知でしかた。

谷中には大名時計博物館なるものも有ります。
渋江四郎
2017/06/12 19:23
阿部家の続き

岩槻藩主(宗家)のその後、岩槻から宮津、宇都宮を経て福山に国替えになりました。その後明治維新を迎えます。
阿部家が日本史に登場するのは、幕末、阿部正弘公。そう黒船来航です。
当時老中主座を勤めていて、日本史の大転換開国を決断したんです。
大河ドラマにも何度も登場しています❗
渋江四郎
2017/06/12 23:23
渋江さんに教えて頂いた事全てが私の「お宝」
人に話をすると「KATOさん、いろいろ知ってて凄いね!」と褒められます(大笑)
KATO
2017/06/13 18:16
KATOさん、こちらもキャッチボール楽しんでいます❗

ますます引き出しが整理され(笑)、あれもこれもとお伝えするネタが、貯まる一方です(笑)

千葉も長くなりましたが、岩槻がらみまだまだ続きます。
渋江四郎
2017/06/14 12:53
岩槻に有った無線。
無線と言いますが、何をしていたでしょうか?

そう受信所です。当時広大な西原地が広がり電波を拾うに最適だったのです。しかし周りに住宅が増え(西町)、受信状況が悪化して銚子に移転してしまいました。

では受信とセットの送信は?
それが千葉の検見川に有ったのです。しかも当時の建物が残っています。しかし廃墟になっていて保存に向けた活動が行われているようです。
渋江四郎
2017/06/15 07:53
ありがとうございます!
私も詰めるだけ詰めていたので、きちんと整理して入るスペースを作って行きたいと思います(笑)
とても楽しみです(#^^#)
KATO
2017/06/15 08:15
KATOさん、整理整頓頑張って下さい

さて、千葉最終章です。
岩槻人なら覚えて居なければならない場所です。

三舟山

続く
渋江四郎
2017/06/16 08:39
時は戦国時代に遡ります。

小田原の北条氏が勢力を伸ばしてきて、それまでの領主と争いが起こります。
その1つ国府台合戦で里見氏と合戦に及びます。岩付の太田資正公は里見氏に味方しましたが、北条に敗れ敗走します。
その後敗戦処理で岩付を留守にした資正公は、北条に寝返った長男氏資公によって岩付を追放されてしまいました。
その三年後に行われたのが、三舟山合戦(君津市)です。
北条軍が里見氏の籠る佐貫城(後に阿部氏が藩主になる)周辺で戦いました。
戦いに負けた北条軍は敗走し、従軍していた太田氏資公はしんがりを務め戦死してしまいました。ここに岩付太田氏の本流直系は途絶えまてしまいました。その後は北条家から養子を迎えましたが、秀吉の小田原征伐により太田家も終焉を迎えます。
氏資公は、北条に仕組まれて戦死したとも言われています。
渋江四郎
2017/06/18 11:36
千葉、おまけ

小学校の遠足で潮干狩りに行ったのが、幕張。
当時の海岸線は今より一キロ以上内陸でした。
まだ埋め立てる前で、砂浜が遠くまで広がっていた記憶があります。

現在の
渋江四郎
2017/06/22 12:58
KATOさん、タイミング良く日本人のお名前で千葉さんが登場しましたね。
しかし千葉の名前の由来、そしていきなり初代?を紹介していましたが、祖先などが抜け落ちていて残念でした。
渋江四郎
2017/06/27 08:48
ふむふむ。。。
戦国の時代から、江戸の時代、そして大正・昭和の話まで、千葉との深い繋がり説明ありがとうございます。

今「検見川 無線 岩槻」で検索してみました!
廃墟となった建造物、気になります!
KATO
2017/06/28 08:32
KATOさん、戦前のベルリンオリンピックで活躍した前畑さん。

その実況放送が岩槻無線(伊奈の話も有)で、受信しました。
有名は「前畑がんばれ」と連呼したあれです。

お聞きになった事有りますか?

CDを持っています。探してみます。
渋江四郎
2017/06/29 12:14
千葉の地名、諸説あるようですが自然地名のようです。その1つが茅(ちがや)が生い茂る土地で茅生から千葉になった説です。

つまり初代が千葉に住ん千葉氏を名乗りました。
先祖を遡ると桓武天皇に繋がります。そうです平家です。
その一族が関東に下向し広がりました。平将門などもそうです。
鎌倉時代には武蔵武士、そう我渋江氏も一族です。もっと言えば平清盛にも繋がるんです。
その紹介が欲しかった❗
渋江四郎
2017/07/08 10:04
宗像の世界遺産、おめでとうございます。全部が選ばれて良かったです。でも今後無断上陸事件が起きないか、心配です。

さて千葉にも、世界的(地球的)な名前が付くか目前に迫っています。

「チバ二アン」

どうなるか。
渋江四郎
2017/07/11 22:31
千葉も色々と深いものがあるのですね
出てくる言葉は「へ〜」や「そんなんだ」ばかりです(*^-^*)

そして「チバニアン」いつ決定になるのでしょう?
これが決まったら大変なことになりますね!
KATO
2017/07/12 08:15
チバニアン、来年?らしいです。
イタリアとの争いみたいです。

前畑がんばれ、CD見つかりました❗
渋江四郎
2017/07/12 12:47
来年ですか! それはそれは楽しみですね!
ライバルはイタリア、よくわからない世界ですが、どうにか勝ち取りたいですね!隣の県から応援します(笑)
 
前畑がんばれ!CD、最初から最後まで時間はどのくらいなんでしょうか?
「前畑がんばれ!」以外に何を実況してたんでしょ?
KATO
2017/07/13 23:01
KATOさん、CDは20世紀の音を収録したもので、約1分です。
内容はお貸ししますので、お聞き下さい。
渋江四郎
2017/07/16 17:31
渋江さん

ありがとうございますm(__)m
KATO
2017/07/16 23:11

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